大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎家庭裁判所島原支部 昭和37年(家)248号 審判 1965年11月20日

申立人 国松スミ(仮名) 外二名

相手方 国松清治(仮名)

主文

一、被相続人国松誠治の遺産を次のとおり分割する。

(一)  (イ) 別紙不動産目録記載、(1)、(3)、(6)ないし(14)、(17)、(18)、(20)、(21)、(24)、ないし(28)、(31)ないし(33)、(36)ないし(37)の各物件は申立人国松スミ、同国松久男の共有とする(但しその持分は申立人国松スミ五分の三、申立人国松久男

五分の二)

(ロ) 別紙不動産目録記載(4)、(5)、(15)、(16)、(19)、(22)、(23)、(29)、(30)、(34)、(38)、(39)、(40)の各物件は相手方国松清治の単独所有とする。

(ハ) 別紙不動産目録記載(2)、(41)の各物件は申立人国松スミ、同国松久男、相手方国松清治の共有とする(但しその持分は申立人国松スミ九分の三、同国松久男九分の二、相手方国松清治九分の四)。

(二)  被相続人国松誠治名義の長崎県南高来郡○○○村農業協同組合に対する(1)普通預金一、六三七円、(2)納税貯金三九四円、(3)組合出資金八七七円及び上田松吉に対する金一万三、〇〇〇円の貸金債権、上田一男に対する金二万七、〇〇〇円の貸金債権ならびに株式会社九州相互銀行の株式二〇〇株(株券番号戊三第四二三号、丁三第二七九号の一〇〇株券二枚)はいずれも申立人国松スミが単独取得する。

(三)  相手方国松清治は相続分を超過して相続財産を取得した代償金として、申立人国松スミに対し金二万六、九八一円、申立人国松久男に対し金五万三、二五九円、申立人水野カヨコに対し金三九万一、一四六円をそれぞれ支払うこと。

二、本件調停及び審判費用は各自弁とする。

理由

本件申立の要旨は、被相続人国松誠治の遺産について相続人である申立人等及び相手方の間に分割の協議が整わないので、右遺産分割の審判を求めるというにある。よつて案ずるに、申立人等及び相手方に対する各審問の結果に本件及び当庁昭和三六年(家イ)第二四号遺産分割調停事件、当庁昭和三九年(家イ)第六号遺産分割調停事件の各記録添付の証拠資料を綜合すると、以下の事実を認めることができる。

一、被相続人及び相続分について、

被相続人国松誠治は昭和三五年三月一一日死亡し、その遺産相続はこの時に開始し、その共同相続人及び相続分は次のとおりである。すなわち、相続人は被相続人の配偶者である申立人国松スミ(明治二五年七月一五日生)、長男である相手方国松清治(明治四一年三月三一日生)、二女である申立人水野カヨコ(大正四年三月一〇日生)、養子である申立人国松久男(昭和一五年一二月七日生)、の四人である。右共同相続人の相続分は、本件には適式の遺言がないから、その法定相続分に従い申立人国松スミは九分の三、申立人水野カヨコ、同国松久男、相手方国松清治は九分の二宛である。

二、相続財産とその現況及び評価額について

(一)  不動産

被相続人国松誠治の遺産に属する不動産は別紙不動産目録記載(1)ないし(41)のとおりであつて、その現況及び評価額はそれぞれ右不動産目録に記載のとおりである。(評価額は鑑定人森内勝行、同井上西雄の鑑定による。)右不動産目録記載(25)の物件は登記簿上は被相続人国松誠治の亡父国松作造の名義になつてはいるが、右物件は被相続人国松誠治が亡父国松作造より取得したもので、土地台帳上も被相続人国松誠治名義になつており、相続財産に属するものと認める。右相続財産に属する不動産の評価額の総計は別紙不動産目録に記載のとおり金二四〇万七、二五一円である。

(二)  預金及び債権

被相続人国松誠治名義の相続開始当時における○○○村農業協同組合に対する(1)普通預金一、六三七円(2)納税貯金三九四円(3)組合出資金八七七円ならびに上田松吉に対する金一万三、〇〇〇円の貸金債権、上田一男に対する金二万七、〇〇〇円の貸金債権はいずれも相続財産に属するものと認める。もつとも、上田一男に対する金二万七、〇〇〇円の右貸金債権については、同人が作成した証明書によると、被相続人国松誠治に対する右貸金債務金二万七、〇〇〇円について、その死亡後である昭和三六年五月頃申立人国松スミの要求によりやむなく金額を金四万四、〇〇〇円とし、貸主を申立人国松スミとする借用証書を差入れたにすぎないことが認められるので、同人に対する貸金債権は金二万七、〇〇〇円であつて、相続財産に属するものと認定する。右相続財産の評価の総計は金四万二、九〇八円である。

申立人国松スミ名義の相続開始当時における○○○村農業協同組合に対する(1)定期預金一一万六、〇〇〇円(2)定期預金一二万七、九七六円はいずれも申立人水野カヨコの夫、水野良男の固有財産であつて、単に申立人国松スミ名義で預金しているにすぎないものであり、本件相続財産に属するものでない。

(三)  有価証券

本件相続開始当時における被相続人国松誠治名義の株式会社九州相互銀行の株式二〇〇株(株券番号戊三第四二三号、丁三第二七九号の一〇〇株券二枚)は被相続人死亡後である昭和三七年七月二二日申立人国松スミに名義が書換えられているが、被相続人の遺産と認める。右株式の時価は一株について金五〇円であると認められるので、右株式二〇〇株の評価額は金一万〇、〇〇〇円である。

以上のとおりであるから、ここで分割の直接の対象とすべき遺産の総価額は(一)不動産金二四〇万七、二五一円(二)預金及び債権金四万二、九〇八円(三)有価証券金一万〇、〇〇〇円の合計金二四六万〇、一五九円と評価される。

三、相続財産である不動産から生じた収益について、

被相続人国松誠治の遺産に属する別紙不動産目録記載(1)ないし(41)の各物件は一部の宅地、建物、農地を除きほとんどを他に賃貸し、あるいはみかん畑等に利用していることは右不動産目録の「現況」欄に記載したとおりであるから、右不動産より収益の生じうる事情にあることが認められる。ところで相続財産から生じた収益については、その相続開始以後分割審判確定日までの分は遺産分割の対象に含まれるものと解すべきであり、基本たる相続財産の分割審判において同時に分割を実施するのが民法第九〇六条の分割基準の実現に副うものと考えられるけれども、本件においては、相続財産たる不動産から生ずる収益の内容、実体を調査確定するについてはなお相当の時日を要し、ひいては基本財産の分割が遅延するのみならず、右収益を基本財産との関連において同時に分割実施しなくとも、必ずしも民法第九〇六条の分割基準の実現に著しい支障が生ずるものとは認められないので、右収益については、その実体を調査確定したる後、本件基本財産の分割審判とは別途にその分割の協議ないし調停、審判をなすのが相当であると考える。

四、民法第九〇三条に基く特別受益分について

(一)  申立人国松スミの特別受益分について、

(1)  相手方国松清治は申立人国松スミが被相続人国松誠治より昭和二八年七月二二日東洋紡績株式会社の株式六〇〇株、昭和三一年七月二六日鐘淵紡績株式会社の株式六〇〇株をいずれも生計の資本として贈与をうけた旨主張する。

しかし、相手方国松清治主張のように申立人国松スミが被相続人国松誠治より右株式を生計の資本として贈与をうけたものではない。すなわち、被相続人国松誠治の実弟国松市治は東洋紡績株式会社の株式六〇〇株、鐘淵紡績株式会社の株式六〇〇株を所有し、同人の他に対する債務の担保として右株式を提供していたところ、被相続人国松誠治か右債務を弁済して右株式を取得し、前者の株式六〇〇株については昭和二八年七月二二日、後者の株式六〇〇株については同年七月二四日それぞれ国松市治から申立人国松スミに名義の書換をなしたのであるが、右名義書換は被相続人国松誠治より申立人国松スミに贈与された結果なされたものではあるけれども、被相続人国松誠治が申立人国松スミの実家から金融をうけていたことなどの事情から右贈与がなされたものであつて、生計の資本として贈与されたものではない。

(2)  相手方国松清治は被相続人国松誠治が田村永吉に対し金三五万〇、〇〇〇円の貸金債権を有していたが、右債権を昭和三五年二月生計の資本として申立人国松スミに贈与したと主張する。

しかし被相続人国松誠治が相続開始当時田村永吉に対して有していた貸金債権は金一〇万〇、〇〇〇円であつて、右債権を申立人国松スミに贈与したのは相手方国松清治主張のように生計の資本としてではない。すなわち、被相続人国松誠治は昭和三〇年頃田村永吉に対し現金三〇万〇、〇〇〇円を貸付け交付し、その後金二〇万〇、〇〇〇円の弁済をうけ、同人に対し金一〇万〇、〇〇〇円の貸金債権を有していたところ、昭和三五年二月頃右貸金債権を申立人国松スミに贈与したが、右贈与は被相続人国松誠治が胃癌のため死期のいよいよ迫るのを覚悟し、永年共に農業に従事し農地など相続財産の維持に協力した労に報いるため右貸金債権を申立人国松スミに贈与したものと認めるのが相当であつて、相手方国松清治主張のように生計の資本として右贈与がなされたものとは解せられない。

(3)  被相続人国松誠治は昭和二八年一〇月二二日頃その所有の畑三畝歩を代金六万〇、〇〇〇円で川上進に売渡し、右代金のうち金三万〇、〇〇〇円の弁済をうけ、同人に対し金三万〇、〇〇〇円の債権を有していたところ、昭和三四年一二月頃申立人国松スミに対し右債権を贈与したことが認められるけれども、右贈与もまた前記(2)と同様の趣旨でなされたものと認めるのが相当である。

(二)  申立人水野カヨコの特別受益分について、

申立人水野カヨコは昭和二五年一一月二五日水野良男と婚姻し、○○宮の宮司をしていた右水野良男は昭和三〇年頃長崎市○町○番二号に住宅兼社務所を建築したのであるが、相手方国松清治は右建築資金として被相続人国松誠治が申立人水野カヨコに対し金二〇万〇、〇〇〇円を贈与したと主張するに対し、申立人水野カヨコは右の金二〇万〇、〇〇〇円の贈与を否定する。しかし、被相続人国松誠治が作成した昭和二三年度より昭和三五年度に至る「通常費税金月々一覧表」と題する書面によると、被相続人国松誠治は昭和三〇年度中において金二〇万〇、〇〇〇円を申立人水野カヨコに対し前記住宅の建築資金として贈与したことが明らかである。してみると、被相続人国松誠治は申立人水野カヨコに対し同申立人が夫である水野良男と世帯を持つための建築資金として金二〇万〇、〇〇〇円を贈与したものと認めるべきであるから、相手方国松清治が主張するように婚姻のための贈与とみることはできないけれども、民法第九〇三条にいわゆる生計の資本として贈与したものと認めるべきである。

(三)  申立人国松久男の特別受益分について、

被相続人国松誠治は田中喜代に対し昭和三一年から昭和三二年にかけて三回にわたり金一五万〇、〇〇〇円、金八万四、〇〇〇円、金八万〇、〇〇〇円合計金三一万四、〇〇〇円を貸付け交付し、うち金一三万八、〇〇〇円の弁済をうけ、残額金一七万六、〇〇〇円の貸金債権を有していたところ、相手方国松清治は被相続人国松誠治が右債権を昭和三五年二月一日申立人国松久男に生計の資本として贈与したと主張する。なるほど昭和三五年二月一日附の被相続人国松誠治が作成した同人より申立人国松久男宛の「田中喜代に対する貸金一切権利は国松久男に譲る」と記載した証書が存在するのであるが、申立人国松久男は右証書の存在を知らず、被相続人国松誠治との間に右債権譲渡の合意はもとより贈与の受諾の意思表示もしなかつたのであるから、右証書の存在は被相続人国松誠治において右債権を申立人国松久男に贈与する意思のあつたことを推認できるにとどまり、申立人国松久男に右債権が贈与されたとまでは認定することはできない。かえつて、被相続人国松誠治は右証書を作成したものの、死亡の日(昭和三五年三月一一日)の二日位前の日右債権を申立人国松スミに贈与したものと認めるのが相当であつて、その贈与の趣旨も前記(一)の(2)と同様の趣旨でなされたものと解するのが相当である。

以上のとおりであつて、申立人水野カヨコの金二〇万〇、〇〇〇円の贈与については民法第九〇三条に基く特別受益分として是認できるけれども、相手方国松清治主張の他の共同相続人については是認できず、他に民法第九〇三条に基く特別受益分として是認できるような格別の贈与、遺贈をうけた相続人はない。

五、各相続人の個別的事情について

(一)  申立人国松スミについて、

申立人国松スミは父吉田辰吉、母ヨノの三女として出生し小学校高等科を卒業後家業の農業に従事していたが、明治四四、五年頃数え年二〇歳の頃農業に従事していた被相続人国松誠治と事実上の婚姻生活に入つた(婚姻届は大正二年一月一五日)。当時被相続人国松誠治は先妻クミと協議離婚したが、同女との間に長男である相手方国松清治があつたので、被相続人国松誠治の家にあつて相手方国松清治を養育しつつ、被相続人国松誠治の死亡するまで同人とともに農業に従事していた。その間二男能男(大正三年八月一七日死亡)、三男和男(昭和一五年一月二九日死亡)、四男正男(大正一五年一二月一三日死亡)、五男時男(大正一〇年二月一四日死亡)、二女申立人水野カヨコが出生した。被相続人国松誠治と婚姻当時同人は父国松作造より本件相続財産たる別紙不動産目録記載の物件(但し(18)の物件を除く)のほか一町一、二反の農地をいわゆる財産分けとして取得していたが、相手方国松清治の妻ナツの実父大山松吉の借財のために右一町一、二反の農地を処分した。別紙不動産目録記載(18)の物件は申立人国松スミが被相続人国松誠治と婚姻後その実弟たる国松市治より取得したものであるが、右以外には婚姻後増加せしめた不動産はない。申立人国松スミは被相続人国松誠治とともに別紙不動産目録記載の農地を耕作していたが、被相続人国松誠治が死亡(昭和三五年三月一一日)する四、五年位前から被相続人国松誠治の健康がすぐれないところから、養子である申立人国松久男とともに別紙不動産目録記載(6)、(8)の畑、(24)、(25)、(28)の田を耕作し、別紙不動産目録記載(17)、(18)、(19)、(20)、(21)の畑に密柑の苗木を植えて育成していたほか他の農地その他の不動産はほとんど他に賃貸し、被相続人国松誠治死亡当時は別紙不動産目録記載(24)、(25)、(28)の田も他に賃貸していた。

遺産分割については、養子である申立人国松久男とともに農業に従事したいので相続財産である別紙不動産目録の物件のうち農地については申立人三名の共有ということで相手方国松清治との間に田は田、畑は畑についてそれぞれ相続分に応じて分割することを希望している。また、別紙不動産目録記載(41)の建物については南側の八畳、四畳、八畳の三室、北側の四畳半、土間の二室を申立人国松スミの単独所有、北側の六畳、三畳の二室を相

手方国松清治の単独所有、別紙不動産目録記載(2)の宅地は相手方国松清治との共有による分割を希望している。

(二)  申立人水野カヨコについて、

申立人水野カヨコは被相続人国松誠治と申立人国松スミの二女として出生し、小学校高等科を卒業後さらに同校補習科に通学し、その後家事の手伝や農業に従事していたが、昭和一四年五月二九日、二四歳の頃村山敏男と婚姻し、申立人国松久男を出産したけれども、夫村山敏男が昭和一九年一一月戦死した。その後申立人国松久男とともに被相続人国松誠治の許に身を寄せていたが、昭和二五年一一月二五日水野良男と婚姻し申立人国松久男を被相続人国松誠治と申立人国松スミの許において、長崎市○町○番二号に夫水野良男と世帯を持ち、現在に至つている。水野良男は○○宮の宮司であるとともに長崎市戸籍課に吏員として勤務している。水野良男との婚姻に際しては申立人国松スミの仕立直しの布団一相と衣類を入れた行李一包だけで格別の嫁入道具はなかつた。現在水野良男との間に一男一女がある。

遺産の分割については申立人国松スミの希望どおりの分割を希望している。

(三)  申立人国松久男について、

申立人国松久男は申立人水野カヨコと村山敏男の長男として出生し、小学校四年の頃母である申立人水野カヨコが水野良男と再婚して長崎市に世帯を持つたので、以後被相続人国松誠治と申立人国松スミの事実上の養子として同人らによつて養育をうけて中学校を卒業した。その後は農業に従事するかたわら定時制高等学校に通学し、同校卒業後は被相続人国松誠治の健康がすぐれないところから専ら申立人国松久男が主となつて農耕に従事し、前記(一)のとおり別紙不動産目録記載(6)、(8)の畑、(24) (25) (28)の田を耕作し、別紙不動産目録記載(17)、(18)、(19)、(20)、(21)の畑を密柑畑として苗木を植えて育成していた。昭和三五年二月一一日、被相続人国松誠治の死期がいよいよ迫つてきたので、被相続人国松誠治、申立人国松スミとの養子縁組届をなし、名実ともに同人らの養子となつた。その後被相続人国松誠治の死亡直前相手方国松清治が家族とともに被相続人国松誠治の居住家屋(別紙不動産目録記載(41)の物件)に転居してきたのであるが、申立人国松スミとの折合が悪く、相手方国松清治が年配で発言権も強くなつたので、申立人国松久男としては将来に不安を感じ、被相続人国松誠治の死亡後である昭和三六年頃長崎市在住の実母である申立人水野カヨコの許に身をよせ、ついで東京に赴き、現在事務用品問屋である○○○産業株式会社に店員として勤務し、月額金二万六、〇〇〇円の収入をえている。なお、申立人国松久男は未婚の独身である。

遺産分割については、申立人国松久男は現在の職業に将来性がなく、別紙不動産目録記載(17)、(18)、(19)、(20)、(21)の密柑畑には苗木を植えて努力したことによる深い愛着があり、養母である申立人国松スミとともに農業に従事したい希望があるので、相続財産たる農地については相手方国松清治の希望も容れて申立人三名の共有ということで相手方国松清治との間で現物分割することを希望している。別紙不動産目録記載(41)の建物については相手方国松清治が単独所有を希望するのであるならば、申立人国松久男としては相手方国松清治の希望を容れてもよい。申立人国松久男としては相手方国松清治の希望するように債務負担の方法で遺産を分割し、東京に永住する考えは全くない。

(四)  相手方国松清治について、

相手方国松清治は被相続人国松誠治と同人の妻クミとの間に長男として出生したが、三歳の頃被相続人国松誠治が妻クミと協議離婚し、四歳の頃申立人国松スミと再婚したので、以後被相続人国松誠治、申立人国松スミ等の養育をうけて成長し、小学校卒業後旧制中学校に入学したが同校を退学し、ついで師範学校に入学し、山岡家の養子に迎えられた。しかし相手方国松清治は師範学校も病気のため退学し、以後被相続人国松誠治の家と養家との間を相半ばして起居していたが、兵役を経て昭和七年長崎県巡査となり、以来長崎県下の警察署を転々と勤務し昭和二四年○○町警察署長、昭和二五年○○市警察警備部長、昭和二七年○○○警察署長等を歴任し、昭和二九年四月警察官の職を退き、○○鉄道株式会社嘱託となり、昭和三三年同会社を退職した後は○○○村役場に事務所をおいて司法書士の職につき現在に至つている。警察官在職中妻ナツと結婚し、現在二男明男と三人家族である。相手方国松清治は昭和三三年司法書士となつてからは妻ナツの実家である大山松吉の許で同居生活をしていたが、被相続人国松誠治が死亡直前申立人国松スミ、同国松久男が女、子供で死後の財産管理に不安を感じたところから、相手方国松清治に同居を勧めるところがあつたので、相手方国松清治は被相続人国松誠治の家(別紙不動産目録記載(41)の建物)に家族とともに同居するに至つた。相手方国松清治は申立人国松スミとは相続問題に関連して折合が悪く、被相続人国松誠治が死亡した後昭和三六年申立人国松久男が去つた後は司法書士の職に従事するかたわら別紙不動産目録の「現況」欄に記載のように管理、使用している。

遺産の分割については別紙不動産目録記載の物件全部を相手方国松清治の単独所有とし、他の共同相続人に対して債務を負担する方法で分割することを希望している

六、分割の方法とその事由について、

被相続人国松誠治の相続財産は法定相続分の割合、すなわち、申立人国松スミは九分の三、申立人水野カヨコ、同国松久男、相手方国松清治は九分の二宛で分割すべきであるが、遺産分割の直接の対象とすべき遺産の総価額は金二四六万〇、一五九円であつて申立人水野カヨコは被相続人国松誠治より生計の資本として金二〇万〇、〇〇〇円の贈与をうけているのであるから、民法第九〇三条に基き各共同相続人の相続分を算出すると、申立人国松スミの相続取得額は金八八万六、七二〇円、申立人水野カヨコの相続取得額は金三九万一、一四六円、申立人国松久男の相続取得額は金五九万一、一四六円、相手方国松清治の相続取得額は金五九万一、一四六円となる(いずれも円未満は四捨五入)。

そこでこの相続取得額に対しどのように本件遺産を割当て取得させるかについては、既に認定した遺産に属する物件または権利の種類性質及びその現況、各相続人の経歴、職業、資産収入及び家庭の事情、その他本件調停及び審判の経過において知ることのできた一切の事情を検討すると、次のように分割取得させるのが相当である

(一)  別紙不動産目録記載(2)、(41)の物件を除くその他の物件について、

申立人国松スミは被相続人国松誠治とともに永年農業に従事してきたものであるが既に老齢となり農耕に従事するには必ずしも最適とはいえないこと、申立人水野カヨコは夫水野良男と結婚し都市である長崎市に居住していて農耕に従事できないこと、申立人国松久男は中学校卒業以来農業に従事していたが被相続人国松誠治死亡後農業に従事する意思を放棄したものではないけれども現在東京都に居住し店員として勤務していること、相手方国松清治は永年農業から離れ現に司法書士の職にあつて被相続人国松誠治死亡後別紙不動産目録の「現況」欄に記載のように管理、使用しているにすぎないこと等の事情によれば、各相続人はいずれも農業に従事する者としては必ずしも最適ということはできないが、申立人国松スミ、同国松久男は将来共同して農業に従事したい意思のあるところよりみて、右申立人両名が比較的農業に従事するのが適当であるといえること相続財産たる農地については別紙不動産目録記載(4)、(5)、(6)の畑を自家消費用として使用し、(17)ないし(20)の各物件を密柑畑として使用しているほかはほとんど他に賃貸使用せしめていること、以上の諸点を特に考慮し、将来申立人国松スミ、同国松久男は共同して、相手方国松清治は単独でそれぞれ農業に従事することをも主眼として考察するならば、相手方国松清治が申立人水野カヨコに対して債務を負担することとし、申立人国松スミと申立人国松久男との間では共有ということで相手方国松清治との間において、別紙不動産目録記載(2)、(41)の物件を除くその他の物件(主として農地)の立地条件、土壌条件、代表作物の種類、反収等をも検討した上次のように分割取得させるのが相当である。

(イ)  別紙不動産目録記載(1)、(3)、(6)ないし(14)、(17)、(18)、(20)、(21)、(24)ないし(28)、(31)ないし(33)、(35)ないし(37)の各物件は申立人国松スミ、同国松久男の共有とする(但し、その持分は申立人国松スミ五分の三、申立人国松久男五分の二)。そうすると、右物件に対する申立人国松スミの取得額は金五五万六、八三一円となり、申立人国松久男の取得額は金三七万一、二二〇円となる(いずれも円未満は四捨五入)。

(ロ)  別紙不動産目録記載(4)、(5)、(15)、(16)、(19)、(22)、(23)、(29)、(30)、(34)、(38)、(39)、(40)の各物件は相手方国松清治の単独所有とする。そうすると右物件に対する相手方国松清治の取得額は金七二万九、二〇〇円となる。

(二)  別紙不動産目録記載(2)、(41)の物件について、

別紙不動産目録記載(2)、(41)の物件については、申立人国松スミは永年被相続人国松誠治とともに生活の本拠として居住使用してきたものであつて、現に居住使用し、将来も居住使用する意思を有し、他に居住家屋を発見取得するのは困難な事情にあること、申立人水野カヨコは夫水野良男の許に嫁し、長崎市内に居住家屋を有し右物件を必要としないこと、申立人国松久男は現在東京都内に居住しているけれども、被相続人国松誠治と申立人国松スミの養子として幼少の頃より右物件において同居してきたものであり、将来申立人国松スミと同居して農業に従事したい意思を有すること、相手方国松清治は被相続人国松誠治の死亡直前同人の勧めもあつて右物件に同居するに至つたものであるにすぎないこと、以上の諸点を考察し、申立人国松スミと相手方国松清治との折合が悪く、将来も改善する見込みがあるとも考えられないこと等の事情からすれば、むしろ右物件を申立人国松スミと申立人国松久男の共有とするのが妥当な分割方法であるように考えられるのであるが、申立人国松スミは相手方国松清治との間において別紙不動産目録記載(41)の建物については区分所有を、別紙不動産目録記載(2)の宅地については共有を希望し(別紙不動産目録記載(41)の建物について申立人国松スミの希望するような区分所有は法律上できないものと考える)、申立人国松久男は別紙不動産目録記載(41)の建物を相手方国松清治の単独所有とすることについて異議のない意思を表明しているので、相手方国松清治が右物件に同居するに至つた事情、殊に被相続人国松誠治の当時の希望をも参酌して、将来申立人国松久男が独立して居住家屋を取得する資力を有するに至つた際相手方国松清治との間において右物件の単独所有者を決定すべきものとして、申立人水野カヨコに対しては相手方国松清治が債務を負担するものとし、申立人国松スミ、同国松久男、相手方国松清治の共有とするのが相当である(但しその持分は申立人国松スミ九分の三、同国松久男九分の二、相手方国松清治九分の四)。そうすると右物件に対する申立人国松スミの取得額は金二五万〇、〇〇〇円、申立人国松久男の取得額は金一六万六、六六七円となり、相手方国松清治の取得額は金三三万三、三三三円となる(いずれも円未満は四捨五入)。

(三)  被相続人国松誠治名義の長崎県南高来郡○○○村農業協同組合に対する(1) 普通預金一、六三七円(2) 納税貯金三九四円(3) 組合出資金八七七円及び上田松吉に対する金一万三、〇〇〇円の貸金債権、上田一男に対する金二万七、〇〇〇円の貸金債権ならびに株式会社九州相互銀行の株式二〇〇株について、

右預金、債権、株式については、被相続人との関係、被相続人死亡後における管理状況、金額、数量等よりみて、申立人国松スミの単独取得とするのが相当である。そうすると右預金等に対する申立人国松スミの取得額は金五万二、九〇八円となる。

(四)  相手万国松清治がその相続分を超過して相続財産を取得した代償金について、

分割の直接の対象とすべき遺産の総価額は金二四六万〇、一五九円であつて、申立人国松スミの相続取得額は金八八万六、七二〇円、申立人水野カヨコ相続取得額は金三九万一、一四六円申立人国松久男の相続取得額は金五九万一、一四六円、相手方国松清治の相続取得額は金五九万一、一四六円であるところ、申立人国松スミは相続財産について前記(一)について金五五万六、八三一円、前記(二)について金二五万〇、〇〇〇円、前記(三)について金五万二、九〇八円合計金八五万九、七三九円を取得し、申立人水野カヨコは何ら取得せず、申立人国松久男は相続財産について前記(一)について金三七万一、二二〇円、前記(二)について金一六万六、六六七円合計金五三万七、八八七円を取得し、相手方国松清治は相続財産について前記(一)について金七二万九、二〇〇円、前記(二)について金三三万三、三三三円合計金一〇六万二、五三三円を取得することとなるから、相手方国松清治はその相続分を超過して相続財産を取得した代償金として、申立人国松スミに対し金二万六、九八一円申立人国松久男に対し金五万三、二五九円、申立人水野カヨコに対し金三九万一、一四六円をそれぞれ金銭で支払うべきものとする。

以上の次第であるから、被相続人国松誠治の遺産について申立人三名及び相手方の分割取得分等を主文第一項のとおり定め、本件審判及び調停費用については家事審判法第七条、非訟事件手続法第二九条、民事訴訟法第九三条第一項但し書を適用して主文第二項のとおり定める。よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 阪井いく朗)

不動産目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例